《母との話》
こんにちは、おひさしぶりです
おひさしぶりすぎますね、すみません
イベントのこともTRPのことも書かずに
いつの間にか放置してました
久しぶりの投稿は、母と私のお話を少し…
以前の投稿でお話したことがあるかも
知れませんが、両親は不仲です、別居中です
(↓この記事ですね)
http://q-39a.hatenablog.com/entry/2018/04/01/233019
小学三年生の頃から母子家庭で
母の仕事の関係でよく祖父母宅へ預けられてました
両親をみて、「結婚したって幸せにはなれない」とひねくれた考えをもつようになり
中学二年生で、同性の先生を好きになり
社会人になりアイドルを追いかけ
異性の恋人を親に紹介することもなく
あげくクエスチョニングを自認している 私
ここまで書いていて
母の望むような 子 として育ってないなぁと
しみじみ思います、ごめんね(笑)
(母が何を望んでいるのか知りませんが)
三年前、二十三歳くらいの時に
母親にカミングアウトしたことがあります
「私女の人が好きだと思う」
濁した感じで、なんとなく、曖昧に
自分でもまだ分からないけど~って付け加えて
明確に断言するのが怖いから
ゆめタウン(西日本にある商業施設)を歩きながら
今なら、この感じなら言える気がする
そう思って、緊張しながらカミングアウトしました
母から返ってきた言葉は
『なら男になれば?メイクしなくていいし、スカート履かなくていいし、男になればいいんじゃない?女が好きなら男になる』
↑私が棒人間ならこんななってたと思う
「いや!そうじゃなくて」
って返せなくて
空気が怖くて
もうこの話できないなーって諦めました
あの時、私は拒絶された。拒否された
そう感じて、母親がますます嫌いになりました
今も嫌い
昔から嫌い
嫌い が 大嫌い に昇格した
一昨年から講演、研修活動をしていて
この話を何度もしています
いつも恨み辛みこめて話します
その度に、聞いてくださった方が
【お母さんの気持ちも理解してあげてほしい】
【いつかお母さんと茜さんが和解できますように】
と言ってくださいます
いや〜向こうが理解しないのに
私から歩み寄るとか無理
プライドが許さぬ
と思っていましたが
最近、あの時の発言は拒絶とかじゃなくて
ただのパニックで
語彙力がなくて言葉の選択が下手くそな
無知すぎる母親のチョイスミスなんだろうと
考えられるようになってきました
きっかけ は 分からない
100%理解してほしいなんて思わないし
私も母親を理解するなんて無理だし
なんなら私たちは 親子 だけど 他人 だし
だけど、歩み寄ることも可能なのでは?
と少しだけ思えるようになっています
三十路までには、もう少し歩み寄れたらいいな~