カテゴライズついて


この話は、あくまでも個人の考えです



エスチョニングのカテゴライズついて


エスチョニングを、名乗ることで

エスチョニングがカテゴライズされている



それなぁーーーーーーーーー



ってお気持ち。本当にそれなぁ。




少し前まで、カテゴライズで悩んでて

カテゴライズされたくないって理由で

エスチョニングという名乗り方をしたのに

結局自ら、カテゴライズしてるやーん


って私もめちゃくちゃ思ってた


これについては、未だにそう感じてる人も多く居ると思う




ただ最近私の考えることは


カテゴライズされた と思うも

カテゴリーじゃない! って思うも


それぞれの自由だと




エスチョニングというカテゴリーは

それは、それは、違和感の塊だけど

それでもクエスチョニングという概念は

変わらず、私の居場所としてあり続けてくれている



そもそもな 『私』というカテゴリーのなかにあるいくつものプロファイルの一部に『クエスチョニング』がいるので


エスチョニングが単体でカテゴリーでは

ないんだと、そう思っております




エスチョニングは

あくまでもプロフィールなのよ






…結局なんなんだろうね


とりあえず居心地いいよね

分からなくてもいいし

決めなくてもいいし

迷っててもいいんだもん


過程として捉えてもいいし

揺るぎない揺るぎであってもいいし

終点でもいいんだもん




そんなガチガチに固めて

身動きとれなくしても

楽しくないよ、人生



いつか死ぬなら


楽でいたいじゃん



そんなお気持ち



看護とLGBTs


こんにちは 茜です



私は普段、看護師として働いてます

気がつけば看護師八年目になってました


今の病院に就職して六年目の私ですが

2017年から看護研究を担当しました

(だいたいどこの病院でも三年目くらいから

看護研究をすると思います)



最終的に「行動変容」のキーワードで

今月、学術集会で研究発表してきます




2017年、研究を始めたとき

絞り込み用紙を作成するにあたって

研究担当の先生と どんな研究がしたいか

話し合いをしたときのことです



私のなかで テーマ として考えてきたのが

・行動変容

・LGBTs

の二つでした



看護とLGBTsの何の研究をしたかったのか

未だに、具体的な内容は浮かばないのですが

看護師をしていて、医療の現場でLGBTsに対する研修や学習の場がなく、知識のある人々も滅多にいないなぁと思っています



だからこそ、現場の看護師がLGBTs(というか、SOGIについて)どう考えているのか知りたいなと思ってあげたテーマでしたが

研究担当の先生には、難しいと思うとのことで、却下され結局行動変容で研究を進めました。(私もそれで良かったと思ってます)



研究も終わり、あとは来月の発表のみ



ほかの病棟の研究発表を聞くために

いろんな学会に顔を出しますが

抄録を読む度に


現場でLGBTsを考える人々はいないんだな

と思わされます



ストレスマネジメント は よくあるのに



教育の現場は、もっと研究が進んでいて

論文があるイメージなのですが




実際、大学院などで看護とLGBTsの研究を

している人ってどれほどいるのでしょうか



実際、現場で看護研究として扱っているケースってどれくらいあるのでしょうか







そういえば、研究の絞り込みで

LGBTsの話題を出したせいか…



髪を切れば

「男になりたいの?あ、あんたは女が好きだったね」


恋愛の話が出れば

「あんたはそっち系だったね」


などという扱いを受けてます(笑)




田舎だし、男尊女卑な考えが蔓延ってるし

50代以上の方々の意識を変えることは

もう諦めているので、全部流しますけど




カムアウトしてない人もいるのに


それをアウティングって言うんだよ〜



って気持ちで

ちょっと時々悲しくなりながら


もっと全体の意識が変わるために


私には何が出来るんだろうって


考える毎日です




医師会や看護協会がもっと

動いてくれないかな〜




最近のクエスチョニング観


こんにちは、ものすごくお久しぶりです


ブログ書かないうちに

エスチョニング交流会が終わりました


なんてこった\( ´ω` )/



エスチョニング交流会のあと

主催の二人で電話した時に

私の中の 現時点での クエスチョニングへの違和感が少し言語化できたような気がします



エスチョニング を 自認している方には

セクシャリティがクエスチョニング

ジェンダーがクエスチョニング

そもそも生き方がクエスチョニング

よく分からんがクエスチョニング etc...



いろいろなクエスチョニングな方がいるので

正直 正解はないし、クエスチョニングに正しいとか間違っているなんて概念を求めることが何よりも間違っていると思うのです





私は、LとかBとか、一旦とりあえず

パズルのピースをはめるように

自分を当てはめてみましたが

形の違いから、全くうまくはまらず



無所属のまま

"私って なんなんだろう"と漠然と思ってました



マズローさんもおっしゃってますが

生理的→安全 が満たされりゃ

次は帰属欲求よ!Social needs!



何かに属したい 何かに属して仲間が欲しい


って思うのは おかしくないのだ!



そんなさまよう 私が 見つけた 心地いい場所が、クエスチョニングだったんです




LとかBとか 選ばなくていい

迷っていい、分からなくていい


って曖昧でいいって言ってくれた




それからずっとクエスチョニング





だけど、最近、なんだかクエスチョニングを名乗ることがきつい気がしてきて



たぶんそれは、クエスチョニングが

カテゴリー化されてしまっているから


あんなにカテゴライズしなくていいって

言ってくれてたクエスチョニングが

いつの間にかカテゴリーになってる






もしかしたら、最初からカテゴリーだったかもしれないし


ただ私はクエスチョニングは

カテゴリーじゃないと思ってた



"細胞間質液"



ここで飛び出る パワーワード



最近だいすきな 言葉(笑)



LとかBとかGとかPとかの細胞(カテゴリー)の間を流れるもの



流動的に


属したくなったら

チャネルから細胞内に入ればいいし

出たくなったら出ればいい




あぁぁぁもう それぇぇぇ  ってなったよね



でもフルイディティではないんだよね


難しいけど


そこらへんは 言語化して説明できないけど




とりあえず


エスチョニング であることは 変わらないけど、より流動的になった



もっと適切で的確な言葉があれば

ぜひ教えていただきたいです




@q_a39   


また会う日を楽しみに


好きな人の話② を書かずに

この記事を書くのはどうなんだろうと思いつつ、でも今すぐ文字にしないと忘れてしまいそうで怖い   ので書く




2018年11月15日


大好きな人 と ご飯食べてきた



21歳の時に好きになった人

職場で知り合い、ご飯に行き

いろんなことを共有し

いろんなことを教えてもらった



思い返せば、4年前の3月


彼女に「好き」を伝えました



両想いになろうなんて思ってない


ただ 知って欲しかった

私のことも、貴女を好きだと思っている人がいることも


ただそれだけだった




私にとって、初めて"同性"に対して"好き"を伝えた瞬間で

初めて"同性愛"を受け入れられた瞬間




じゃあお付き合いしましょう




なんて結果にはならなかったけど

そもそもそれを望んでいたわけではないし




「ありがとう」





その言葉を まず 聞けたことが

嬉しかった




これまでの関係が崩れてしまい

この日が最後になるかもしれないと

そこまで考えてたから



受容 されたことは素直に嬉しかった





彼女は、その後結婚し


2018年11月15日


私は3年ぶりに彼女に会った





とにかく変わらない 喋り方 雰囲気


癒された


安心した




心のどこかで 


何か 変わっていたら どうしようと

彼女に対して、幻滅したらどうしようと

不安で仕方なかったけど



あの日の続きかのように


あの頃が戻ってきたかのように



なんの障害もなく話がすすんだ





あの頃の話、今の話、お互いの話




話せば話すほど



好きが募った





本当は、ケジメつけて

ありがとうございます


と伝えたかった





だけど結局何も言えないまま


帰ってきてしまって



米津玄師さんの「Lemon」を聴きながら


泣いた




好きなんだな〜って



全然この恋って終わってないんだな~って



思い出にすることもできず

忘れることもできず



そんな切なさとか苦しさとかを

私はこれからも時々どこかで感じて

生きていくんだな〜って




彼女の誕生日がくれば


今年お祝いしていいのかな?って考えて


私の誕生日がくれば


今年はお祝いのLINEがくるのかな?って期待して




そうやって


日々


どこかで


私は


彼女の幻影と


生きていくのかと思うと




なかなか しんどい 気がしている







結婚生活も安定しているであろう彼女にとって


私の存在は 邪魔ではないだろうか




過去に自分に対して "好き"だと言ってきた同性は


どんな存在として 彼女に認識されているのか





"好き"はなかったことにされてるのかな


過去のこととして薄れているのかな





そんな時、私の存在も  薄れさせるべきなのかな






長い 長い 夜を泳ぐ 私への答えは


どこにあるのかな








5年前のブログ


こんばんは、茜です


先程から昔の(5年前)ブログを見返してます



相変わらず栄養士さん好きすぎ問題



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中学生の時から 詩を書くのが好きで

ポエマーだったんですけど


5年前のブログも 意味深と見せかけて

割と単純明快なわかりやすいことを

書き綴っておりました(笑)




あの頃の私へ


全然笑い話じゃないよ~〜〜~〜


なんなら見返しながらめっちゃ辛いよ~



その栄養士さん、結婚するよ〜



今でも誕生日だけは連絡取ってるよ~




今日も変わらず 大好きだよ〜



今日も明日も明後日も


5年先も


10年先も


貴女の幸せを願ってるよ~








好きな人の話①


ここ数日、過去に好きだった人が

記憶の中から飛び出してきて

仕事中やドライブ中に心臓痛くなる現象に

悩まされてます ( ˘・ω・˘ )  どうも、茜です



七夕も終わりましたね


一年に一度どころか数年単位で

好きだった人には逢うことができない




そんな私の26年の人生で


いつまでも

ずっと

とにかく

好きなんだバカ!幸せになってくれ!




って思う人が二人います





一人目は 中学二年生の時に好きになった先生


二人目は 21歳の時に好きになった栄養士さん





ただ 好きな人の話聞いてって

思って書いてるだけなので

適当に流していただければと思います


私は、定期的に読み返して

一人で泣きたいと思います






今日は、一人目 先生のお話





ビビビっと きたわけではない


正直きっかけ とか よく分からなかった

いや12年前の記憶はさすがに薄れすぎてて

映像記憶の断片ぐらいしか憶えてない



先生の通勤路と私の通学路が同じで

通勤・通学時間がよく被ってて


私が歩いてると 後ろから

ラクションを鳴らしてくれる


振り向けば、スピードを緩めて

運転席から手を振ってくれる先生がいて



その後 追い抜かされて


私が学校に着くと

職員室から「おはよう、茜」って

朝一番の声をかけてくれる



学校の日の私の一日はそうやって始まってました





甘酸っぺぇ



アオハル感





初めて 好きだなぁ って思いました



憧れ や 尊敬 の意味が大きかったかもしれない

というか 憧れ や 尊敬 の意味だった気がする



憧れ や 尊敬 が 大部分を占める好き だけど

その好き が どういう好きか分からなくて

辞書で調べたこともある


好き



恋愛




調べれば調べるほど



好きぃぃぃぃぃぃ



って感情で胸が苦しくなる




先生は、いろんなことをお願いしてきた



流行りの歌を MDに入れてほしい とか

このCD貸してほしい とか



中学二年生が 流行りの歌全部CD持ってるわけなくて、TSUTAYAで借りたり買ったり




「ありがと」




そう言う時の笑顔がみたくて

先生のために 頑張った




いろんな頼み事を

きちんと100%完璧にこなして

愛想つかされないように必死で


なかなか従順だったと思う




おかげで、いつものお礼って

Barbieのハンカチもらったこともある



卒業する時には手紙ももらった



ハンカチは宝物で

私にとって 大事な時期に

(受験とか就職とか)

 必ず身につけると決めていて

ハンカチがあるから絶対大丈夫って思える



ただこのハンカチ失踪癖があって

よく いなくなる


そして大事な日の前日とかに突然見つかる



先生と同じで 自由気まま きまぐれ な性格らしい






彼氏の話とか結婚の話とか子どもの話とか

正直きつくて苦しい話もたくさんあって


結局  何も言えなかったけど




生涯  忘れることはない 初恋の人でしょう








《母との話》


こんにちは、おひさしぶりです


おひさしぶりすぎますね、すみません




イベントのこともTRPのことも書かずに

いつの間にか放置してました






久しぶりの投稿は、母と私のお話を少し…



以前の投稿でお話したことがあるかも

知れませんが、両親は不仲です、別居中です

(↓この記事ですね)

http://q-39a.hatenablog.com/entry/2018/04/01/233019



小学三年生の頃から母子家庭で

母の仕事の関係でよく祖父母宅へ預けられてました



両親をみて、「結婚したって幸せにはなれない」とひねくれた考えをもつようになり

中学二年生で、同性の先生を好きになり

社会人になりアイドルを追いかけ

異性の恋人を親に紹介することもなく

あげくクエスチョニングを自認している 私



ここまで書いていて

母の望むような 子 として育ってないなぁと

しみじみ思います、ごめんね(笑)

(母が何を望んでいるのか知りませんが)





三年前、二十三歳くらいの時に

母親にカミングアウトしたことがあります


「私女の人が好きだと思う」


濁した感じで、なんとなく、曖昧に

自分でもまだ分からないけど~って付け加えて

明確に断言するのが怖いから


ゆめタウン(西日本にある商業施設)を歩きながら



今なら、この感じなら言える気がする



そう思って、緊張しながらカミングアウトしました




母から返ってきた言葉は



『なら男になれば?メイクしなくていいし、スカート履かなくていいし、男になればいいんじゃない?女が好きなら男になる』



_| ̄|○



↑私が棒人間ならこんななってたと思う



「いや!そうじゃなくて」


って返せなくて


空気が怖くて


もうこの話できないなーって諦めました




あの時、私は拒絶された。拒否された

そう感じて、母親がますます嫌いになりました



今も嫌い


昔から嫌い


嫌い が 大嫌い に昇格した





一昨年から講演、研修活動をしていて

この話を何度もしています


いつも恨み辛みこめて話します




その度に、聞いてくださった方が

【お母さんの気持ちも理解してあげてほしい】

【いつかお母さんと茜さんが和解できますように】



と言ってくださいます




いや〜向こうが理解しないのに

私から歩み寄るとか無理


プライドが許さぬ



と思っていましたが




最近、あの時の発言は拒絶とかじゃなくて


ただのパニックで


語彙力がなくて言葉の選択が下手くそな

無知すぎる母親のチョイスミスなんだろうと


考えられるようになってきました




きっかけ は 分からない





100%理解してほしいなんて思わないし

私も母親を理解するなんて無理だし

なんなら私たちは 親子 だけど 他人 だし



だけど、歩み寄ることも可能なのでは?


と少しだけ思えるようになっています






三十路までには、もう少し歩み寄れたらいいな~